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2012年4月20日 (金)

2012年4月15日〔中川雅代〕

この間の日曜日に、宮古島トライアスロン大会に参戦してきました!

宮古島大会は、今回で7回目の参加ですが、今までで一番アクシデントが多く、また一番長い時間競技をしていた、思い出深い大会となりました。

前夜祭のパーティー後には恒例の、今回参加のろう者(8名)と、地元宮古島の手話ボランティアの方々が集まり、それぞれ自己紹介などをして壮行会が開かれました。

毎年参加の、赤川さん、小倉さん、久し振りに参加の神奈川出身の島田さんや、地元の国仲さん、私も毎年その壮行会には、参加させて頂いて、久しぶりに皆さんや、手話ボランティアの方々と近況などを語り合いとても懐かしく、楽しいひとときを過ごしました。

今年は、北朝鮮の人工衛星発射の件で、事務局も例年よりピリピリしていましたが、大会前に失敗に終わりいくらかほっとして、いつもの大会に戻りました。選手宣誓では、大阪から初出場の男性が「(高島夫妻をモデルにした)風の歌が聴きたいを見て、宮古島トライアスロンに憧れて、参加を夢見て、今年やっと実現できました!」 と言っていました。

また、地元のろう者で、唯一選手の国仲さんの紹介もスイムスタート前にスピーカーでありました。

今回の宮古島トライアスロンでは、私は初っぱなから大馬鹿をやってしまいました。
スタート直前にトイレに入り、焦っていたこともあり計測用のアンクルバンドをレース前に貰っていないことに気付かずに、(装着もせずに)、スイムスタートしてしまい、200Mくらい泳いだ時点で、水中を蹴る前の選手の足首のアンクルバンドで(例年装着は必須と知っていたので)自分の失態に気付きました。そして咄嗟に「失格は間違いない」と思い、心が折れて意気消沈し、それからは波がどうとか、潮の流れがどうのよりも、失格を言い渡されてレースを続けられないことで頭の中が一杯になり、全く泳ぎに集中出来ずに、形だけで泳いでいましたが、ずっと不安感で一杯でした。とりあえず泳ぎきって(でも、泳ぎきったらレースが継続できないならまだ海に居たいような思いで、ギリギリ迄水中にいて)泳ぎながら心の中では、[岸に上がったら、本部の一番偉いと思われる人に、正直に現状を自己申告して、公式結果が出なくても、レースを続けてもいいか?お願いしてみよう]と思っていていざ泳ぎ終ると、応援で来ていた友人が目の前に見えたので、まずはアンクルバンド無しで泳いでしまった事を話し、その後すぐに本部に申告しに行ったら、なっ、なんとアンクルバンドの引き渡し場所に再度自分で出向き、バンドを装着してバイク→ランに行きなさいとのこと。泳ぎきった証拠はあるので、多少の時間的ロスはあっても、競技は続行できますと。意外な展開にびっくりしましたが、喜んでいる時間もなかったので、(スイムの記録はその場で本部の方がメモしてました)テント間をうろうろしてやっとアンクルバンドを頂き、レースを続行出来ることになりました。本当に有り難く、これはかなり奇跡に近いと思い、必ず頑張って(バイクではパンクに気をつけて)苦しくても全力を尽くし...自分に鞭打って...丁寧にレースをして行こうと頭では思って力を入れてみましたが、今一つ調子がでず、また今までの練習不足とレースに臨む姿勢などが、全て正直に競技の中身に反映して、バイクもランも、レースをさせてくださった方々には大変申し訳ないと感じながらもズルズルと撃沈し、本当に情けない状態になりました。

バイクでは、国仲さんと追い付き追い越せで、6回くらい会い、ところどころ会話し、最後は国仲さんが先に行ってしまいましたが、気持ちで負けていた私は、国仲さんから頑張る勇気を会うたびに貰いました。
また、ランに入ってからはバイクの時から、ずっと腹痛を訴えていた国仲さんとまた会い、お互い無理をせずに、マイペースで行こうと励まし合い、その後真鍋さんと会い、真鍋さんの落ち着いた笑顔から、私の焦りは消え、ランの折り返し地点手前で、バイクでアクシデントがあったにも関わらず、追い上げてきた島田さんと会い、選手なのに、大声で明るい声援を貰いました。

腹痛を訴えていた国仲さんは、私より先に折り返しにいて(往路で私がトイレに行っていた間に抜かされたようです)国仲さんが痛みがあっても頑張っていることを知って、彼の意気込みから再び勇気を貰い、復路ではほとんど一緒に走りました。ラスト7Kの関門を50分前に国仲さんと私はほぼ一緒に通過したのですが、私は酸欠で頭はぼーっとしてくるわ、両足の豆は潰れてくるわで、絶対禁止と誓っていた、歩きをしてしまいました。あと残り5Kの地点では、真剣に残りを6分前半で走らなければ、完走は危ういと気付き、それからはダッシュ(にはなっていませんが、気持ちだけ)と少しスピードを落とすことの繰り返しで、ラストの2Kは残すは13分しかなく、その時点からは、前しか見れずに、足の潰れた豆からはぐじゅぐじゅと膿がでている感覚がありましたが、もうそれどころではなく、死ぬもの狂いで走りました!!制限時間に閉まってしまう競技場の門は、制限時間の2分前にくぐりましたが、ずっと一緒に抜きつ抜かれつしてきて、ラストの門迄一緒走ってきた国仲さんを、1分だけ門の内側で待ちました。残念ながら来なかったので、競技場のトラックを走り、制限時間ギリギリジャストでフィニッシュしました。

後から聞いたら、国仲さんは残り1Kところで太ももがつってしまい、最後の1K10分かかってしまったみたいで、時間内ゴールはダメでしたが、とても清々しい顔をしてました。本当は、国仲さんの家族と国仲さんと、時間に間に合うようなら一緒にゴールしようと途中から話していたので、心残りはありましたが、最後迄諦めずに(横を息子さんが併走してました)励ましてくれた仲間と、ずっと一緒に競技が出来たことに、本当に心から感謝、感謝で今までで、一番大切な体験が出来た大会でした。
今回は、JDCAのジャージを着てバイク、ランを走りましたが、自分の注意力不足から、多大なミスをしてしまい、協会の一員という自覚が足りなくて、申し訳ありません。
「慣れ」で慢心して競技に臨んだ事を、身をもって反省し、今回のレースを続けさせてくださった大会関係者の方々やボランティアの方々、また応援して下さった皆さん、競技中の心を支えてくれた仲間の皆に、心から感謝致します。
私は、今は満身創痍ですがまずは、この経験を生かし競技に対する気持ちから叩き直して、体力作りや練習をゼロからやり直していかなきゃと思っています。

それから、今度の日曜日の石垣島トライアスロンでは協会のメンバーの千葉さん大西さん、れいちゃん、その他大勢の方にお会い出来て、交流できることを楽しみにしています。またレースもミスをしないよう、気をつけて、頑張りたいと思います。

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