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2011年9月10日 (土)

2011年9月4日〔峰武史〕

「2011佐渡国際トライアスロンAタイプ (S:2.0k B:190k R:42.2k )」

総合:11時間46分02秒(110/700位)
S: 39分48秒
(157/ 700位)
B: 6時間26分07秒
( 55/ 700位)
R: 4時間40分07秒
(217/ 700位)

佐渡Aタイプのスタートライン。砂浜に赤いスイムキャップをかぶった総勢810人のトライアスリートたち。今年は台風の影響でスイムが3.8kから2.0kに変更された。

「スイム」
スタートの合図で選手がゆっくりと砂浜を歩き出した。少しずつ体が沈んでいき、下半身が水に浸かった頃スイム開始。810人が一斉に海に入る。私は真っ直ぐ泳ぐために、ロープが張ってある場所を陣取っていたが、考える事はみな同じ。ロープ付近は激しいバトル。しかし私は動じず強気に周りを押しやった。3回目のトライアスロン。バトルは慣れっこだった。ロープを頼りに真っ直ぐ泳いだ。そしてスイムフィニッシュ。体力の消耗を最小限に抑え次のバイク190kにつないだ。

「バイク」
滑り出しは時速35~40kで巡航。しかし海岸沿いに入ると台風の影響で猛烈な向かい風。一気に巡航30~35kに失速。それでも辛いのはみんな同じ。第一ピークの約60k地点のZ坂まではひたすら抜いて抜きまくった。

Z坂を過ぎた辺りから、実力が拮抗した選手と抜きつ抜かれつのバトル。みんなトライアスロンバイク。平地で離され、登りで抜き返す一進一退のバトルを何人も選手と演じた。走る場所は海岸沿いばかり。猛烈な向かい風が容赦なく脚を消耗させた。

バイクのほぼ中間点両津。久しぶりの街中。向かい風が弱いので楽かなと思いきや、太ももに疲労が感じられるようになった。脚が重い、疲れた。心が折れかけた。そんな時商店街に差し掛かった。たくさんの人の応援。嬉しくて嬉しくて、感極まり涙が止まらない。しまいには嗚咽して泣いた。沿道の人から元気をもらった。

100k過ぎから130k地点まで向かい風のピークだった。ついには巡航速度が30kを切る場面もあった。脚も重い。しかし堪えてひたすらペダルを漕ぎ続けた。130k過ぎ位でふとペダルが軽くなった事に気付いた。向かい風でなくなかったのだ。スピードを上げてみる。楽に時速35kまでいった。ここから160kの第二ピークの小木の坂まで、ペースを上げ快調に飛ばす。潮の香り・波の音・荒々しい佐渡の海岸線。全てが心地よかった。

小木の街に入り、いよいよ最大の難所160k地点「小木の坂」。普段なら何でもない坂。しかし160k走り脚が消耗した状態でのこの坂はキツかった。登って行くと、禁止行為のドラフティングで私を千切った集団が今にも止まりそうなスピードで坂をもがいていた。その集団を抜き去るも、こちらも脚の限界。坂の途中で1人に抜かれたがついて行く余力がない。疲労からくる太ももの痛みを必死に堪えて、何とか坂を登り切った。

下りが終わり残り15k。太ももは悲鳴を上げていた。脚が重かった。トランジションエリアを目指し最後の力を振り絞りペダルを漕ぎ、190kを走り切った。スタミナは充分残っていたが脚を使い果たした。こんな走り方が、3種目目のラン42.2kをとてつもなく苦しいものへと追いやった。

「ラン」
バイク190kを終えトランジションエリアに戻ってきた。バイクジャージ上下からランシャツランパンに着替え、用意していた大福2つを流し込みラン42.2kのスタート。いざ脚を踏み出すと、脚全体に嫌な感覚が走った。「マズい、つる!!」私は普段歩幅の大きいストライド走法。しかしそんな走り方ではすぐに脚がつってしまう。やむなく歩幅の短いピッチ走法に切り替え、脚をかばいながらスタート。

スタミナは問題なかったが、ちょっと脚が重い。先が長い事を考えてゆっくり走った。のんびり走っていると、次に次に抜かれていった。どれだけ順位を落とすんだと不安になりながらも、ただ「マイペース」を心掛けた。最初の10kの入りは59分台。まだ沿道の声援に応える余裕があった。しかし、徐々に脚が重くなっていく。脳内は徐々に「苦痛」に支配されていった。そして15k過ぎ。いよいよ脚の重さ、痛みの限界をむかえた。残り3時間の「拷問」の始まりである。

ペースは一気に落ち、「もう歩こう」と常に葛藤した。この頃周りに脱落者が出始めだ。自分に負けて歩き出す者。つった脚を引きずり懸命に前に進む者。立ち止まり、道端で吐いている者。この光景が私を更に弱気にさせていった。そんな時仲間とすれ違った。お互い声を掛け合い通り過ぎた。「差は1時間以上あるが、ここで歩いたら追い付かれる。彼は絶対歩かない。」そう考えてた私はエイドステーション以外では走り続ける事を自分に誓った。

25k、30k。脚が重い。ランの走り込みが足りなかったので足のひらも痛み出した。沿道の声援に応えられない。脚が重い。脚が痛い。この拷問の状態をひたすら堪えた。残り10k。この頃精神状態も限界で、頭の中では「もうトライアスロンなんてやめてやる。絶対出ないぞ」という言葉がグルグル回っていた。今ここで苦痛に堪えている意味がわからなくなった。苦痛から早く解放されるには、早くゴールすれば良い。雨が降りだし、徐々に薄暗くなっていく中、残り10kでスパート。渾身の力で走った。

エイドステーションに着いて脚を止めた。残り7k。止まるとスパートでの脚の負担がどっと出た。補給を済ませ再びスタート。一度止まったので再スパートはかけられなかったが、ゴールへ確実に近づいていた。田園風景から真野の街中に入り残り5k。旅館から大会会場に往復するのに何度か通った道。先がわかるのは嬉しかった。街中をひたすら走り、気がつくとアーケード街が見えた。残り数百m。たくさんの声援。アナウンスで私の名前が呼ばれた。周りから熱い声援。歩道の人が手を出してきた。力一杯ハイタッチ。嬉しかった。ここでも感極まり泣いた。嬉しかった。

アーケード街を過ぎいよいよゴール会場。入ってすぐ、私の1番大切な人が、コース内で待っていてくれた。彼女の顔を見るや、一気に全身の力が抜いた。彼女の手に支えられ、フィニッシュゲートへ。そしてフィニッシュ。両手を高くあげ、天をあおいで渾身のガッツポーズ!!今までの苦痛が全て吹き飛び、達成感が満ちあふれてきた。「 トライアスロン最高!佐渡Aタイプ最高!!」この感動病みつきになりそう。来年も絶対参加すると心に誓った。

文責:峰 武史

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